溝の口と生田の間くらい。
つつじ寺とも呼ばれる等覚院というお寺がある。
お墓の無い、神社みたいなお寺。
たまたま僕の誕生日が、等覚院さんの大事な法要の日だったり、
山門の奉納演奏をさせて頂いたりと散々お世話になっているお寺。
このタイミングで、舞と共演させて頂く流れは、
やっぱり何かしらの縁を感じざるを得ないなー。
不在が存在よりも濃い気配をつくる
光信くんの言葉がそのまま、この日のテーマになりそうだ。
ここ、本当にいいお寺ですよ。
__________________________
【2015年8月29日(土)】
「越境ノ舞」~影舞・縁坐舞台~@神奈川・等覚院
http://u777u.info/mT5b
__________________________
「不在が存在よりも濃い気配をつくる」
とは、誰のことばだったか。
この夏、われわれは、不在と存在を越境していく舞いのすがたを、
神奈川のお寺をかりて目撃したいと思う。
盆踊りのルーツは死者との交歓だというが、
笠をかぶって顔を隠すのは、匿名性を高めるため。
うしろ姿をみて、「あっ、お母さん」とか
その踊り姿で「あぁウチのが帰ってきた」と思えるように
敢えてわざと顔は隠すのだという。
胸がしめつけられるような、日本人の情動である。
この「面影が宿る」ところに、僕は舞いの本質があるような気がしている。
わたしたちにとってそれは「ダンス」ではなく「舞踏」でもなく
敢えていうなら「舞い」なのかもしれないが、正確にいえば
「しぐさの連続」に尽きるのではないか。
しぐさとはつまり無意識の、無自覚の動作。
そこにこそ、不在と存在を越境していく
カギが隠されている気がしてならない。
残暑の砌、そこに集う人も集わない人も、
過去も現在も未来もすべてとけて、混ざる。
ゲストに古典楽器の名手を招き、一音でひらくは万界。
いざなわれるは、円融の世界か。
中島 光信拝
《はしもとくにひこ口上》
この週末は、坐・フェンスの面々とともに、愛知県豊田市の山里、
小渡(おど)の集落に残る農村舞台にて、きくみるはなす縁坐舞台の公演を行って参りました。
縁坐空間は、初めて観る人々の多くに、一種の「違和感」や「不思議な感覚」をもたらすようです。
違和とは「心や体の調和が失われること」。
不思議とは「理性や常識ではその意味や理由が理解できないこと」。
お客様のお一人が次のように述べてくださいました。
「さっきの方の縁坐舞台を観ていたときは退屈な感じがしたのですが、いざ自分の縁坐舞台を観たときには全然違って、来るものがありました。」
またお一人は、「観ていると、背中がしゃんとなるような感じ、不思議な感じがしました。
しっかり生きなくちゃと思いました。」
縁坐舞台をすでにご存知のお客様は、
「今回はここ豊田に皆様がお越しくださるということで、行けることになってから、
本当に待ち遠しかったです。
一方で、縁坐舞台には恐れというか怖い感じを持っていました。
さすが「ヒトガタ」の皆さんだなあ…と思ったのは、
それぞれの個人が際立つのではなくて皆さんが空間とか風景になっていた感じがしたことです。
皆さんにお会いできると思って出かけて行ったけれど
みなさんと出会えたという感じがなかったのはとても興味深いことでした。
ヒトガタの役目を全うしておられたからなんだなと思うと素晴らしいなと思います。
美しい風景となっていたみなさんを胸に刻みました。ありがとうございました。」
鮮やかな視界を述べていただいて、我々の探求も深まります。
こちらこそありがとうございます。
「風景となっていた」 とはどういうことでしょうか。
通常の舞台構造では、「風景」とは、大道具、小道具の係りの人が、
役者のために作り置く舞台背景のセットのことです。
縁坐舞台や影舞では、「役者」となるべき生身の人間は、あえて「風景」になるのでしょうか?
風景とは、何でしょう。
以前、風は息、風景は「息の景色」=「生きる景色」 とお伝えしたことがあります。
僕にとって、人が観る「景色(ケシキ)」は、
人が今それを生きているところの「意識(イシキ)」に対応しています。
人は自らが観たい景色だけを見るようです。
外側の景色も、内側の景色も、
その人がそのときに見たい景色、見るべき景色をみ(身・味・実)ているということ。
景色は気色であり、意識の「意」が変化(へんげ)したモノとしての「化識」でもありましょうか。
お一人おひとりが、ご自分の人生の内容として見ている「景色」は、
まさしくその方が今、生きている働き・作用そのものをアラワし、映し出している、というのが、
僕が見ている景色であります。
それゆえ、二人が影舞うときや、ヒトガタとして舞台空間に在る時は、
お互いがそのときに「見て」 「生きている」時空間(人生)の景色を仕合うことになる。
真剣に「仕」合えば、二人の間に、あるいは舞台空間の中に,
二人の間柄(柄=本来備わっている性質・状態)という新たなケシキを生み出すことになる。
間柄・関係性という一期一会のそのケシキは、
人の美しさと豊かさを陰影深く映し出して欠けるところがないと思います。
等覚院のエレック中島師から、「不在と存在を越境していく舞いのすがた」という言葉を頂きました。
この間柄、あいだの柄こそが、不在(無)となりゆく我々有情が辿る越境の舞すがたである、
という景色が、僕の現在の居所・心境を示しています。
「皆様」という「景色」に触れ(振れ)させていただけることを心より楽しみに、
夏の神木山・等覚院へ、お参りさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
口承即興~縁坐影舞空間 坐・フェンス 橋本久仁彦
__________________________
【2015年8月29日(土)】
「越境ノ舞」~影舞・縁坐舞台~@神奈川・等覚院
http://u777u.info/mT5b
__________________________
■日時
2015年8月29日(土) 10:00~18:00
■会場
神木山 等覚院(しぼくさん とうがくいん)
神奈川県 川崎市 宮前区 神木本町1-8-1
http://www.tougakuin.jp/
急行に乗ると渋谷駅より13分/新宿駅より22分。
そこからバス10分程度の、高台にある寺院です。
■参加費
8,800円
昼食別、近所の弁当屋を予定。持参可です。
■募集人数
20名前後
■進行/守人/ファシリテーター
橋本久仁彦(傾聴空間建築家)
http://enzabutai.com/
■ゲスト
田中悠宇吾(シタール)
https://www.facebook.com/yugotanaka.oto
http://yugotanaka.jimdo.com/
シタール奏者。練馬区出身、国立市在住。
2007年 NHKエンタープライズから発売のDVD〔名仏探訪〕のBGMを担当。
2008年よりインドにてシタール奏者Dr.Gopal Krishan Shah氏に師事。
2015年Aprl名義で1stアルバム「one」をリリース。
■主催/世話人
中島光信(神木坐・等覚院副住職)
http://www.tougakuin.jp/
■お申し込み&お問い合わせ先
お申し込み、各種お問い合わせの方は、
下記フォームにご記入の上、世話人までお送りください。
メールアドレス(担当:黒田)
sibokuza@gmail.com
※申込メールの件名には
「8/29影舞申込」+お名前を入力してください
※ワークショップの内容についての問い合わせなども
お気軽にお尋ねください。
_____________________________________________
■申し込みフォーム
※メール件名=8/29影舞申込(名前○○○○○)
※送信先=sibokuza@gmail.com
○お名前(ふりがな):
○電話番号(緊急用なのでできれば携帯):
○普段のお仕事や活動:
○これまでに橋本のWSを経験されている方は、その内容:
○参加への思いなどご自由に:
_____________________________________________
※申し込みをされた方にはこちらから「申込受理」メールを返信致します。_____________________________________________
<個人情報の取扱い>
記載の個人情報は本公演の実施・および今後の催事案内においてのみ主催者が利用します。
個人情報は目的の範囲内で利用するとともに適切な方法で管理し、法令上の特段の事情がない限り、
本人の同意なしに第三者への目的外での開示・提供はいたしません。
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KOSHIN Nakajima
中島 光信
http://twitter.com/#!/nacazimacosinPC
http://www.facebook.com/cosin.nakajima
http://www.tougakuin.jp/
僧侶・ファシリテーター / 等覚院
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<月イチ連載中!>
【BUDDHY WEDNESDAY】8月は…
「毒矢の喩え」http://www.earth-garden.jp/goodlife/44538/
つつじ寺とも呼ばれる等覚院というお寺がある。
お墓の無い、神社みたいなお寺。
たまたま僕の誕生日が、等覚院さんの大事な法要の日だったり、
山門の奉納演奏をさせて頂いたりと散々お世話になっているお寺。
このタイミングで、舞と共演させて頂く流れは、
やっぱり何かしらの縁を感じざるを得ないなー。
不在が存在よりも濃い気配をつくる
光信くんの言葉がそのまま、この日のテーマになりそうだ。
ここ、本当にいいお寺ですよ。
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【2015年8月29日(土)】
「越境ノ舞」~影舞・縁坐舞台~@神奈川・等覚院
http://u777u.info/mT5b
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「不在が存在よりも濃い気配をつくる」
とは、誰のことばだったか。
この夏、われわれは、不在と存在を越境していく舞いのすがたを、
神奈川のお寺をかりて目撃したいと思う。
盆踊りのルーツは死者との交歓だというが、
笠をかぶって顔を隠すのは、匿名性を高めるため。
うしろ姿をみて、「あっ、お母さん」とか
その踊り姿で「あぁウチのが帰ってきた」と思えるように
敢えてわざと顔は隠すのだという。
胸がしめつけられるような、日本人の情動である。
この「面影が宿る」ところに、僕は舞いの本質があるような気がしている。
わたしたちにとってそれは「ダンス」ではなく「舞踏」でもなく
敢えていうなら「舞い」なのかもしれないが、正確にいえば
「しぐさの連続」に尽きるのではないか。
しぐさとはつまり無意識の、無自覚の動作。
そこにこそ、不在と存在を越境していく
カギが隠されている気がしてならない。
残暑の砌、そこに集う人も集わない人も、
過去も現在も未来もすべてとけて、混ざる。
ゲストに古典楽器の名手を招き、一音でひらくは万界。
いざなわれるは、円融の世界か。
中島 光信拝
《はしもとくにひこ口上》
この週末は、坐・フェンスの面々とともに、愛知県豊田市の山里、
小渡(おど)の集落に残る農村舞台にて、きくみるはなす縁坐舞台の公演を行って参りました。
縁坐空間は、初めて観る人々の多くに、一種の「違和感」や「不思議な感覚」をもたらすようです。
違和とは「心や体の調和が失われること」。
不思議とは「理性や常識ではその意味や理由が理解できないこと」。
お客様のお一人が次のように述べてくださいました。
「さっきの方の縁坐舞台を観ていたときは退屈な感じがしたのですが、いざ自分の縁坐舞台を観たときには全然違って、来るものがありました。」
またお一人は、「観ていると、背中がしゃんとなるような感じ、不思議な感じがしました。
しっかり生きなくちゃと思いました。」
縁坐舞台をすでにご存知のお客様は、
「今回はここ豊田に皆様がお越しくださるということで、行けることになってから、
本当に待ち遠しかったです。
一方で、縁坐舞台には恐れというか怖い感じを持っていました。
さすが「ヒトガタ」の皆さんだなあ…と思ったのは、
それぞれの個人が際立つのではなくて皆さんが空間とか風景になっていた感じがしたことです。
皆さんにお会いできると思って出かけて行ったけれど
みなさんと出会えたという感じがなかったのはとても興味深いことでした。
ヒトガタの役目を全うしておられたからなんだなと思うと素晴らしいなと思います。
美しい風景となっていたみなさんを胸に刻みました。ありがとうございました。」
鮮やかな視界を述べていただいて、我々の探求も深まります。
こちらこそありがとうございます。
「風景となっていた」 とはどういうことでしょうか。
通常の舞台構造では、「風景」とは、大道具、小道具の係りの人が、
役者のために作り置く舞台背景のセットのことです。
縁坐舞台や影舞では、「役者」となるべき生身の人間は、あえて「風景」になるのでしょうか?
風景とは、何でしょう。
以前、風は息、風景は「息の景色」=「生きる景色」 とお伝えしたことがあります。
僕にとって、人が観る「景色(ケシキ)」は、
人が今それを生きているところの「意識(イシキ)」に対応しています。
人は自らが観たい景色だけを見るようです。
外側の景色も、内側の景色も、
その人がそのときに見たい景色、見るべき景色をみ(身・味・実)ているということ。
景色は気色であり、意識の「意」が変化(へんげ)したモノとしての「化識」でもありましょうか。
お一人おひとりが、ご自分の人生の内容として見ている「景色」は、
まさしくその方が今、生きている働き・作用そのものをアラワし、映し出している、というのが、
僕が見ている景色であります。
それゆえ、二人が影舞うときや、ヒトガタとして舞台空間に在る時は、
お互いがそのときに「見て」 「生きている」時空間(人生)の景色を仕合うことになる。
真剣に「仕」合えば、二人の間に、あるいは舞台空間の中に,
二人の間柄(柄=本来備わっている性質・状態)という新たなケシキを生み出すことになる。
間柄・関係性という一期一会のそのケシキは、
人の美しさと豊かさを陰影深く映し出して欠けるところがないと思います。
等覚院のエレック中島師から、「不在と存在を越境していく舞いのすがた」という言葉を頂きました。
この間柄、あいだの柄こそが、不在(無)となりゆく我々有情が辿る越境の舞すがたである、
という景色が、僕の現在の居所・心境を示しています。
「皆様」という「景色」に触れ(振れ)させていただけることを心より楽しみに、
夏の神木山・等覚院へ、お参りさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
口承即興~縁坐影舞空間 坐・フェンス 橋本久仁彦
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【2015年8月29日(土)】
「越境ノ舞」~影舞・縁坐舞台~@神奈川・等覚院
http://u777u.info/mT5b
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■日時
2015年8月29日(土) 10:00~18:00
■会場
神木山 等覚院(しぼくさん とうがくいん)
神奈川県 川崎市 宮前区 神木本町1-8-1
http://www.tougakuin.jp/
急行に乗ると渋谷駅より13分/新宿駅より22分。
そこからバス10分程度の、高台にある寺院です。
■参加費
8,800円
昼食別、近所の弁当屋を予定。持参可です。
■募集人数
20名前後
■進行/守人/ファシリテーター
橋本久仁彦(傾聴空間建築家)
http://enzabutai.com/
■ゲスト
田中悠宇吾(シタール)
https://www.facebook.com/yugotanaka.oto
http://yugotanaka.jimdo.com/
シタール奏者。練馬区出身、国立市在住。
2007年 NHKエンタープライズから発売のDVD〔名仏探訪〕のBGMを担当。
2008年よりインドにてシタール奏者Dr.Gopal Krishan Shah氏に師事。
2015年Aprl名義で1stアルバム「one」をリリース。
■主催/世話人
中島光信(神木坐・等覚院副住職)
http://www.tougakuin.jp/
■お申し込み&お問い合わせ先
お申し込み、各種お問い合わせの方は、
下記フォームにご記入の上、世話人までお送りください。
メールアドレス(担当:黒田)
sibokuza@gmail.com
※申込メールの件名には
「8/29影舞申込」+お名前を入力してください
※ワークショップの内容についての問い合わせなども
お気軽にお尋ねください。
_____________________________________________
■申し込みフォーム
※メール件名=8/29影舞申込(名前○○○○○)
※送信先=sibokuza@gmail.com
○お名前(ふりがな):
○電話番号(緊急用なのでできれば携帯):
○普段のお仕事や活動:
○これまでに橋本のWSを経験されている方は、その内容:
○参加への思いなどご自由に:
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※申し込みをされた方にはこちらから「申込受理」メールを返信致します。_____________________________________________
<個人情報の取扱い>
記載の個人情報は本公演の実施・および今後の催事案内においてのみ主催者が利用します。
個人情報は目的の範囲内で利用するとともに適切な方法で管理し、法令上の特段の事情がない限り、
本人の同意なしに第三者への目的外での開示・提供はいたしません。
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KOSHIN Nakajima
中島 光信
http://twitter.com/#!/nacazimacosinPC
http://www.facebook.com/cosin.nakajima
http://www.tougakuin.jp/
僧侶・ファシリテーター / 等覚院
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<月イチ連載中!>
【BUDDHY WEDNESDAY】8月は…
「毒矢の喩え」http://www.earth-garden.jp/goodlife/44538/
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