2015年9月23日水曜日

秋分

【TOPIC】秋分は中道の象徴
中庸が心地よい秋分は、西方浄土を重んじる仏教でも「彼岸会」という最大の仏教行事の日であり、神社でも秋季皇霊祭という歴代の天皇を奉祀する重要な忌日となっています。
仏教における彼岸は、祖先を祀る他にも精神的に特別な意味合いをもっています。ブッダは厳しい苦行と快楽主義という両極を体験したうえで真理を探していま したが、あるとき、苦行している最中に、歌いながら通りかかった農夫から“弦は強すぎると切れる、弱いと弱いでまた鳴らぬ、ほどほどの調子にしめて上手に かき鳴らすがよい”と言われ、雷に打たれるような思いで真理を悟りました。
ブッダが悟ったことは、“無常”、すべてが変化し続けているというシンプルなこと。変化するという事実を認めないこと=「無知」が「迷い」を生み、「迷 い」が「欲望」を生み、「欲望」が「執着」を生み、「執着」が「苦しみ」を生むという心理的な構図に気がつきました。両極端に走らない「中道」こそが大切 なのだ、と。ブッダは35歳で悟りへの鍵を手にしました。
中道を行くということは、アンバランスや偏りを認めることでもあります。中道は、まんなかで静止して動かないことではなく、変化の動きのなかでつねにバラ ンスを意識することです。風に吹かれ、揺れる木々のようにしなやかであるということは、自然のあり方の基本スタンスかもしれません。

以上、地球歴から引用。


今日は、そんな秋分。
偏らずに真ん中でいたいですね。

当たり前のように、こうあるべきというような型にはめ込んで世界を見ること。
それは、全ての物事を一元的にみてしまうステレオタイプなものの見方。
その、ものの見方自体がすでに前時代的で古くさい。
本質を見極めるために、形から求める目を塞いぐ。
目を瞑り、耳を澄ませる行為が現代には必要なんだと思う。


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