2015年11月6日金曜日

休符

先週頭に左足を骨折してしまい、
1週間ほど入院していました。

楽器を触れない日々が続き、
人生の中のちょっとした休符を過ごしています。

この休符をどう過ごすか。

いい意味での音楽的転機となるよう
少し勉強しています。


入院中に1冊の本を読んでいました。(息抜きにナウシカも読んでましたが。)
1986年に発刊された「波の記譜法」
環境音楽を取り巻く当時の状況を芦川聡氏をはじめとして、マリー・シェーファー、ジョン・ケージ、ブライアン・イーノ、エリック・サティなどの思想とその音が現代の環境音楽にどう影響しているかを考察した一冊。
発刊から30年経った今もなお当時と変わらない状況や、悪化した部分などを改めて感じるとともに、自分自身も知らず知らず、数多の偉人たちの影響下にいることを感じずにはいられない。
全体として、西洋音楽の立場からの考察なので、アジアやその他の音楽的思想への憧れからエッセンスとして導入した雰囲気だけの作風でも持ち上げられている感が気にはなるが。
史実としての資料価値はある1冊でした。

本誌の中でも大きく扱われている芦川聡さんのStill Wayから。



静かに響く音色のミニマルなアンサンブル。
色褪せない綺麗な音空間。


1 件のコメント:

  1. 今からの数か月が、おそらく、生き方を深めるチャンスだと思います。成長なのか、成熟なのか、とにかく期待します。
    複雑なもの(複雑になろうとするもの)に秩序を与えるのが「生きている」ことなのだと、最近思うようになりました。50年近く生きてきた成果がこれだけなのは、お恥ずかしいですが。
    植物が光合成をするのも、傷が治るのも、クロスワードパズルやナンプレを人が楽しむのも、「相対論」ではなく、「光量子仮説による光電効果の解明」に、ノーベル物理学賞が与えられたのも。だから、「レールの上を走るような」とか、「温室育ち」とかは、生き方としてはネガティブな意味で使われるのだと思います。
    ただ、困難を乗り越えなければならないのは、自分の目標の実現に必要な場合の話だと思います。たとえば、紛争地域に生まれて、ライフルを担いで暮らしている少年は、その困難から救い出されるべきで、「艱難辛苦、汝を・・・」などというべきではないと思います。
    この機会に、目標とか目的とか理由を見つめ直したり、上方修正したりして、そのために必要な苦労は引き受けて、逃げてもいい困難からは逃げて、闇雲に抱え込まないことを祈ります。

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