2014年9月12日金曜日

速度と思考についての考察

音の余韻だったり、気配みたいなものを感じるには、歩みを止めて深呼吸をして、ゆったりとした時間の中で、静かな水面のような精神を保てるタイム感が必要だと思います。
 そのタイム感をいまの社会の流れの中では作るのがなかなか難しいように思いますが、googleやfacebookが禅を取り入れている取組みや、安倍首相が禅を実践していたり、そういった事例を目にすると、時代そのもののタイム感自体が変わってきているような気もします。

車を運転しているとき、ゆっくりと走らせていると、景色の一つ一つに意識を向けられますが、だんだんとスピードを上げていくと、一つ一つに注意を向けるのが難しくなり、安全に走行を続ける為のポイントに注意を向けていくようになります。もっとスピードを上げて高速道路などで高速で流れる景色を観ていると、その一つ一つというよりは、大きく全体を観るように意識していく感覚があります。
時代の速度もその速さが増してきて、モノの見方自体を変えていかないと追いつかなくなってきているのかもしれません。

座っていると(座禅)、身体の緊張や弛緩が精神にいかに影響するのかがとてもよく分かります。呼吸を浅くしたり留めたりすると、思考は速い回転を始め、逆に深くゆっくりと呼吸をすると、精神は思考から離れていきます。精神と身体が相互に強く影響し合っている事を分かりやすく思い出す様な作業です。(それを身体側から働きかけるのがヨーガなどのもので、単なるストレッチとは大きく違います。)

この宇宙を観てみると、目に観える恒星や惑星などの物理的なものの動きは大小さまざまな螺旋を描いて動いています。身体と精神が互いに強く影響し合っているように、人間が作り出した社会構造自体も、目には見えない螺旋を描いているのかもしれません。魚の群れが一斉に向きを変えるように、個人の意志とは別のもっと根源的なものによって全体が少しずつ円を描いていくように変化していくのかも。そんな気がしています。


言葉が多過ぎました。。

言葉には力があります。 うまく使えば理解を深める助けになります。
間違えると微細なものを捉えることが難しくなります。
例えば、日本人は青と緑の区別が苦手なんだそうですが、
それは、青と緑の間を指す言葉があまり発展せずに、
結果として、2極でカテゴライズしてしまっているからかもしれません。
どちらかに断定せずに、ありのままのぼんやりとしたものとして捉えることもとても大切なものの見方なんだと思います。

 音楽が好きなのは、そういうモノの見方に近いからかもしれません。

 去り行く夏に想いを馳せて、今年の熊野の夏の音とのセッションです。
20分ありますが、音の余韻や夏の気配を感じて頂けたら幸いです。

  https://soundcloud.com/yugo-tanaka-1/oyunohara

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