ただいま、トーキョーワンダーサイト本郷で開催中の企画展
「Future days」
友人の作品が会場の3Fで展示されている。
いま、アーティストと呼ばれる人たちが、観て感じたものをどう吐き出すか。
それが問われるこの日本において、吐き出されるべくして吐き出されたもののうちのひとつ。
土曜日は、その作品の前で、俺も吐き出します。
以下、転載。
第6回展覧会企画公募 「Future days」
数えることもできない極めて長い時間のことを、仏教世界では「劫」という時間の単位をもって表わすという。一劫とは四十里(約157km)四方の大岩を三年ごとにたった一度だけ天人の羽衣でなすり、ついにその岩が磨滅しつくすまでの時間のことを指すと一説にある。
「五劫の思惟」や「十劫の正覚」といった使い方をするそうだが、この「劫」という時間単にと豊かな比喩表現をもって仏教世界は「永劫」という知覚不能な抽象表現を具現化し、人々に知覚させようと試みた。
この「永劫」の具象化は、私に地球や木々やあるいは人類全体の寿命という長い視点を想起させるとともに、「もし我々の寿命が何千、何万年と長かったらどのように時間を感じ、どのように世界を見ることができるだろうか?」と考えさせるのには十分だった。
そして私はこの「劫」という時間概念を手本に映像技術を使って類似した巨視的な時間視点を創ってみることにした。
思考錯誤の末、長時間露光という写真技術とタイムラプス(微速度インターバル撮影)という映像技術を合わせ、ピンホールカメラという箱に穴があいているだけの原始的カメラを使う事を思いついた。
ピンホールカメラは、一般のレンズカメラのように言ってんに焦点を合わせることがなく、全体的にぼんやりと焦点が合うカメラである。これは、葉一枚を見るでもなく、森そのものを見るでもなく、見るともなしに全体を眺めているという我々生物の目だけに備わった特徴と似た視点を創ることができるカメラであり、この作品のコンセプトには最適だと思われた。
今回の展示「Future days」では上記の手法を用いて、東北関東大震災後に松島の朝日を撮影した「vision for kalpa~RISING~」と福島第一原発から25kmほどのところにあり最も放射線量が高くなってしまった川の一つ・新田川を撮影した「ision for kalpa~LIFE STREAM~」の制作にあたった。
このプロジェクトは、短絡的な結果や目先の利益を優先しがちな現代において、忘れがちな視点や時間感覚を自分の体に思い出させるという個人的行為であるとともに、その鑑賞者の方と共有しようという試みである。
足利 広 個展「空白と杜」展示風景、2011、瑞聖寺アートプロジェクツ、東京
足利 広 《vision for kalpa》2011、HD映像(2分)
Emerging Artist Support Program 2011
展覧会の企画を志し活動している若手への支援・育成を目的とし、展覧会企画そのものを公募するプログラム「展覧会企画公募」。選出された企画はTWSが支援し、TWS本郷にて展覧会を実施する機会を得ます。
2011年、 私たちは大きな転換期を迎え、文化芸術やアートの担い手としてのミッション、展覧会を開催する意味...これまで当然とされ省みることの無かった、あらゆる事象を根本から再考する局面に立っています。また、芸術作品をモノとしてではなく、活動そのものやプロセスをアートとして提示し、リアリティを追求する動きも顕著に見受けられます。第6回目を迎える2011年度は、《いま、本当に必要とされている「場」や「実験」とは何か?》《公共の場で行う「展覧会」 とはどうあるべきなのか?》を改めて問いたいと思います。
新しい表現の可能性のみならず、展覧会という表現の場をとおしていかに社会へコミットし、新たな協働の地平を開拓していけるか。TWSは、これまでの「展覧会」という枠組みを再考し、積極的に展覧会とはどのような場であるかをともに考え、ともに試行していく企画を募集しました。今年は3企画に加え、1企画を特別賞として選出いたしました。
選出企画■HARU by Hija Bastarda企画者:廣田大樹
■"sapporo" around the world企画者:実験音楽とシアターのためのアンサンブル
■Future days企画者:足利 広
2011年、 私たちは大きな転換期を迎え、文化芸術やアートの担い手としてのミッション、展覧会を開催する意味...これまで当然とされ省みることの無かった、あらゆる事象を根本から再考する局面に立っています。また、芸術作品をモノとしてではなく、活動そのものやプロセスをアートとして提示し、リアリティを追求する動きも顕著に見受けられます。第6回目を迎える2011年度は、《いま、本当に必要とされている「場」や「実験」とは何か?》《公共の場で行う「展覧会」 とはどうあるべきなのか?》を改めて問いたいと思います。
新しい表現の可能性のみならず、展覧会という表現の場をとおしていかに社会へコミットし、新たな協働の地平を開拓していけるか。TWSは、これまでの「展覧会」という枠組みを再考し、積極的に展覧会とはどのような場であるかをともに考え、ともに試行していく企画を募集しました。今年は3企画に加え、1企画を特別賞として選出いたしました。
選出企画■HARU by Hija Bastarda企画者:廣田大樹
■"sapporo" around the world企画者:実験音楽とシアターのためのアンサンブル
■Future days企画者:足利 広
特別賞■それでもつくるのか企画者:チームやめよう
【関連イベント決定!】
FUTURE DAYS Live × TALK1月15日(日)16:30-
2月25日(土)16:30-
出演: 吉田ユウスケ(ディジリドゥー)
水面流石坂ノ下(ギター×シタール×歌)
黒川武彦(ポエトリーリーディング)
金野泰史(ダンス)
足利広の映像作品をバックに3組の出演者がライブパフォーマンスを行います。
終了後は出演者やアーティストを交えての座談会を予定。
作品、震災、これからのことなど。
2月25日(土)16:30-
出演: 吉田ユウスケ(ディジリドゥー)
水面流石坂ノ下(ギター×シタール×歌)
黒川武彦(ポエトリーリーディング)
金野泰史(ダンス)
足利広の映像作品をバックに3組の出演者がライブパフォーマンスを行います。
終了後は出演者やアーティストを交えての座談会を予定。
作品、震災、これからのことなど。
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vision for kalpaについて
vision for kalpaについて
数えることもできない極めて長い時間のことを、仏教世界では「劫」という時間の単位をもって表わすという。一劫とは四十里(約157km)四方の大岩を三年ごとにたった一度だけ天人の羽衣でなすり、ついにその岩が磨滅しつくすまでの時間のことを指すと一説にある。
「五劫の思惟」や「十劫の正覚」といった使い方をするそうだが、この「劫」という時間単にと豊かな比喩表現をもって仏教世界は「永劫」という知覚不能な抽象表現を具現化し、人々に知覚させようと試みた。
この「永劫」の具象化は、私に地球や木々やあるいは人類全体の寿命という長い視点を想起させるとともに、「もし我々の寿命が何千、何万年と長かったらどのように時間を感じ、どのように世界を見ることができるだろうか?」と考えさせるのには十分だった。
そして私はこの「劫」という時間概念を手本に映像技術を使って類似した巨視的な時間視点を創ってみることにした。
思考錯誤の末、長時間露光という写真技術とタイムラプス(微速度インターバル撮影)という映像技術を合わせ、ピンホールカメラという箱に穴があいているだけの原始的カメラを使う事を思いついた。
ピンホールカメラは、一般のレンズカメラのように言ってんに焦点を合わせることがなく、全体的にぼんやりと焦点が合うカメラである。これは、葉一枚を見るでもなく、森そのものを見るでもなく、見るともなしに全体を眺めているという我々生物の目だけに備わった特徴と似た視点を創ることができるカメラであり、この作品のコンセプトには最適だと思われた。
コンセプトシートより転載
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今回の展示「Future days」では上記の手法を用いて、東北関東大震災後に松島の朝日を撮影した「vision for kalpa~RISING~」と福島第一原発から25kmほどのところにあり最も放射線量が高くなってしまった川の一つ・新田川を撮影した「ision for kalpa~LIFE STREAM~」の制作にあたった。
このプロジェクトは、短絡的な結果や目先の利益を優先しがちな現代において、忘れがちな視点や時間感覚を自分の体に思い出させるという個人的行為であるとともに、その鑑賞者の方と共有しようという試みである。
足利 広
我々はもはやただ経済が発展し、あらゆる面で技術が高度に革新するだけの未来を思い描いてはいけない。我々は経済や技術が高度に発展しながらも、より川の水が美しく空気が澄んでいる未来のビジョンを思い描かなくてはならない。
我々は、自分の時間をただせわしく生きるだけではなく、自分の時間を必死に生きながらも、木々や地球やあるいは人類全体の寿命といった大きな時間の流れを時折感じる豊かさを思い出さなければならない。
「もし、人間の寿命が何千、何万年と長かったら、我々はどのように時間を感じ、どのように世界を見ることができるだろうか?」そんなことを考えながらピンホールカメラで映像制作を始めた私は、黎明の松島と放射能により規制されてしまった新田川の水流を撮影することにした。それは、遠い昔から現在を通り過ぎ遥か未来へと流れる時間の中で、決して失われる事のない希望の光をフィルムに焼きつけるという行為だったように思う。
展覧会「Future days」では、松島の夜明けを撮影した映像作品《rising》と南相馬市に流れる新田川を撮影した映像作品《life stream》を展示します。両作品とも「劫」という仏教的な時間表現を手本に、日々忙しく流れる時の中で、未来へゆったりと続く時間を知覚してもらおうとする作品です。
我々は、自分の時間をただせわしく生きるだけではなく、自分の時間を必死に生きながらも、木々や地球やあるいは人類全体の寿命といった大きな時間の流れを時折感じる豊かさを思い出さなければならない。
「もし、人間の寿命が何千、何万年と長かったら、我々はどのように時間を感じ、どのように世界を見ることができるだろうか?」そんなことを考えながらピンホールカメラで映像制作を始めた私は、黎明の松島と放射能により規制されてしまった新田川の水流を撮影することにした。それは、遠い昔から現在を通り過ぎ遥か未来へと流れる時間の中で、決して失われる事のない希望の光をフィルムに焼きつけるという行為だったように思う。
展覧会「Future days」では、松島の夜明けを撮影した映像作品《rising》と南相馬市に流れる新田川を撮影した映像作品《life stream》を展示します。両作品とも「劫」という仏教的な時間表現を手本に、日々忙しく流れる時の中で、未来へゆったりと続く時間を知覚してもらおうとする作品です。
足利 広 個展「空白と杜」展示風景、2011、瑞聖寺アートプロジェクツ、東京
足利 広 《vision for kalpa》2011、HD映像(2分)
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